高齢者虐待事件に思う
介祉塾の砂です。
高齢者施設で介護職員が入所者の女性に熱湯をかけて重傷を負わせた事件がありました。
私が気になったのは、そのニュースのコメント欄でした。
※ 著作権があるので改変しています。
>信じられないような我がまま老人の暴力 、それで虐待が起きないと思えるのですか。
>賃金が人並みならば虐待も減るのになぜ国は介護報酬を下げるのですか。
>老人の年金と自分の手取りが変わらないのでは、気持ちは分からなくもないが・・・。
>認知症介護は地獄なんだよね。
このように介護職員に同情的なコメントが大半でした。
介護現場を知っていれば、分かる気がします。
私が気になったのはその点ではなくて、日本の政治における「タテマエとホンネ」です。
介護保険制度では「利用者本位」「自立支援」が言われ(タテマエ・建前)、介護現場では「重労働」「低賃金」「高齢者のわがまま」が言われます(ホンネ・本音)。
これについて、高名な政治学者である京極純一氏(1924-2016)の一節が頭に思い浮かびました。
『タテマエを擁して服従を求める側の個人ないし集団は、オオヤケとワタクシ、公益と私益を対比して評価したあと、オオヤケないし集合性、共同性の優位性の確認と滅私奉公の実行を指令する。・・・。これに対する、支配される側の個人ないし集団の抵抗は、「厭な顔をする」、「機嫌が悪い」、「膨れる」、「拗ねる」、という、集合体とは別の次元に属する対応、支配される側の個人の霊力の発動となる(注記ホンネ)。・・・。一方は諄々と道理とタテマエを説き、他方は「理屈では現実は動かない」と言い返すやりとりが繰り返され、最終的にはいわゆる「力関係」によって落着することになる。・・・。心情倫理を欠き、自己抑制を欠く権勢者の専横と私益の追求が日本の政治の慢性症状となる所以である。』
政府は一方的にタテマエを説き、介護事業者・介護職員はホンネを吐きます。
結果として、出口のない議論は平行線となり、最後は力関係で決まってしまいます。
ところで、介護業界は、「優しさ」や「人情」、「想い」、「共感」といった私的な感性に左右されがちです。
しかし、そのような私的な言葉ではなく、介護業界こそが高齢者社会を支えている自負を持ち、社会のあるべき姿を自ら描き発信していくことが必要ではないでしょうか。
でないと、いつまで経っても介護業界の意見は政治決定に十分に反映されないのだと思います。
コメント欄を読みながら、日本の介護保険制度における課題を感じました。