“看取りができる”“終の棲家(ついのすみか)”はウリにならない
介祉塾の砂です。
マーケティングにおいて、顧客を惹きつけるウリ(≒セールスポイント)が重要です。
ところで、介護施設のウリとは何でしょうか?
色々あると思います。
よく聞くのが、「うちの施設は看取りができる」とか「終の棲家(ついのすみか)」とか、そのようなものです。
医療連携がしっかりしていて、医療体制が整っているのであれば、アピールしたい気持ちも分かります。
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しかし自分がウリだと思っているものが、必ずしも他者へのウリになるとは限りません。
「看取り」や「終の棲家」という表現は、死に行く場所というイメージがあり、むしろ敬遠されます。
例えば入所を検討している人が見学に訪れたときに、いくつかの居室で死期が迫っている入居者がいたら、その人はどのように感じるのでしょうか?
少なくともこれから「生活する場所」としては、相応しいとは考えないと思います。
「看取り」に積極的ということは、そこは入居者にとって他の入居者との出会いの場ではなく、別れの場になってしまうのです。
もちろん「看取り」が頻繁に行われるわけではないのですが、見学のときに介護施設の担当者から「うちは終の棲家です」と言われたら、普通の人は安心するどころか「私は終わらされる」のだと不安に思ってしまい、逆効果です。
また人は死に向けた準備をすることについて、先延ばしにしてしまう傾向があり、「看取り」や「終の棲家」の準備になかなか取り組みません。
行動経済学では、このような心理的傾向を「時間割引」と言ったりします。
むしろウリとするのであれば、「地域に開かれている」とか、「穏やかな環境」とか、「楽しいイベント」とか、生活空間としての価値を伝えるべきです。
医療体制が整っていることも、健康な暮らしや万が一の不安の解消に価値の重きを置く方が、より効果的です。
なお介護施設が「看取り」をウリとしたい理由は、要介護度が高いほど介護報酬が増えることや、支給限度基準額を超えて自費サービスを提供することが多いので、客単価が増えるという経営的な都合もあります。
決して利用者本位だからではないのです。
総じて介護施設のイメージが悪いのも、このような介護と世間の感覚のズレに起因しています。
世間にとって死は滅多に訪れないものであり、日常的に接する医療介護職とは大分異なることを自覚する必要があります。
最近は神戸市で、近隣住民の反対により「看取りの家」の開設が頓挫した背景にも、このような介護と世間の感覚のズレがあるのです。
さらに消費者庁から有料老人ホームに対して、実際には看取りをしていないのに広告で表示している是正の命令が出ており、安易にウリとすべきではないように思います。
もっともこのようなことは、介護施設で看取りをしてはいけないと言う話ではなく、マーケティングの側面から見て介護施設のウリにはなりにくいということです。
決して、多死社会における「看取り」や「終の棲家」の意義を否定しているわけではないことを、ご留意ください。
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