胃ろうによる延命と介護 ①
介祉塾の砂です。
※「胃ろう」とは、胃に小さな穴を空けチューブを通して直接栄養を補給する方法。
このテーマは非常にデリケートですが、砂が体験したことから、どう感じたのか率直に書きたいと思います。
また、宗教上の見解ではなく独自に感じたことであることもご了承ください。
宗教的なテーマが苦手な方はスルーしてください。
日本では延命策として胃ろうが選択されます。
欧米では選択されないです。
非倫理的だからです。
ところで、非倫理的とはどういうことなのでしょうか?
私の体験談から考えてみます。
アラスカで出会ったソーシャルワーカー(SW)との中絶の是非についての対話です。
※米国では中絶の可否は国論を二分するトピックです。
私「もしお腹にいる子どもに障害がある場合に、中絶を選択する親もいますが、どう思いますか?」
単に興味があって聞きました。
SW「その親にはそれぞれ事情があって、抱えている課題もあるのだと思うよ。でも、私は中絶はいけないと思う。我々は、神が与えたありのままを受け入れなければならないのだから。」
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日本ではキリスト教が普及しているわけではなく、信仰について日常的に語られるわけではないので、ピンと来ないかもしれません。
しかし、米国ではキリスト教が普及していて、信仰心の厚い人も多いです。
ちなみに、私はキリスト教信者ではないのですが、米国で暮らすうえでキリスト教に対してリスペクトすることは当然だと思います。
ところで、「神が与えたありのまま(≒神の秩序)」というのがポイントになります。
中絶とは、社会秩序より上位概念である神の秩序に反する行為なのです。
したがって、中絶は絶対悪になります。
実は、同じロジックが延命についても言えます。
延命は神の秩序に反すること、非倫理的な行為になります。
なお、西洋の世界で倫理とはキリスト教の教義と不可分です。
すなわち、非倫理的とは神の秩序に反することでもあります。
また、尊厳死(≒自然死)についても同じ事が言えます。
欧米では、このように信仰に根差しているため、胃ろうによる延命が行われません。
ところが、日本にはこのような国民的な価値観がないため、合意形成も進まないまま延命措置が行われています。
次回は日本の介護と延命について。